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東京から京都・伊根町に嫁いだ農業女子が手がけるこだわり卵

【伊根町】
東京から京都・伊根町に嫁いだ農業女子が手がけるこだわり卵

自然に寄り添い、家族みんなで営む養鶏所「三野養鶏」

丹後半島の北部、舟屋で知られている伊根町の山あいにある三野養鶏。
地域から愛され、エサにこだわった養鶏をご家族で取り組まれています。
白身は透き通り、ぷるんと弾力があり、黄身は着色料不使用の昔ながらのレモン色が特徴の玉子。
お届け先は、地元伊根町をはじめ近隣地域の一般家庭や飲食店です。
今回、ご家族を代表して登場いただいたのは、代々続く農家に嫁いできた都会っ子の三野恵理子さん。
三児の母親でもある恵理子さんに食の生産に携われる喜びや、農業にかける熱い思いをお聞きしました。

すべてを手作業で行うからこそ、細かいところまで目が行き届く

今から6年前の2015年、恵理子さんは三野養鶏三代目の三野牧人さんと結婚して、与謝郡伊根町にやってきました。

嫁ぎ先の三野養鶏では、約2000羽の鶏を育成していますが、鶏だけを飼っている農家としては、かなり小さな規模だとか。一般的な養鶏場では、何万羽、何十万羽といった数の鶏が飼育され、数が多い分、エサの給餌や集卵も自動で行われているところが多いようです。

一方、こちらの養鶏場は少ない羽数だからこそ、すべて手作業で行い、その分細かいところまで目が行き届くことができるといいます。家族みんなで分担して営む典型的な家族経営です。

養鶏されているのは、この業界では珍しい純国産鶏の「もみじ」という鶏種。いま市販されている玉子の約96%が少ない食事で産卵率がよい外国から入ってくる鶏だとか。

にもかかわらず、純国産にこだわるのは日本の農業を守りたいという考えがあるからだそうです。

鶏は、お客さんに経済的な負担をなるべくかけずに食べてほしいという願いから、コストを抑えられるケージ飼いにしています。

平飼いに比べてケージ飼いは効率優先に見えますが、先代である牧人さんの父親の悟さんによると「鶏の中にも弱肉強食があり、弱い鶏は餌を充分に食べられないこともある。ケージなら各自割り当てられるので食いっぱぐれがなく、病気もすぐに見つけることができる」という面もあるとのこと。

とはいえ、鶏が生きものらしくのびのび育ってほしい、鶏や自然に寄り添いたいという想いもあり、少数羽ですが平飼い飼育も行われています。

東京から伊根町へ嫁いできた農業女子

農家の嫁である恵理子さんですが、生まれ育ったのはこちらとは環境がかなり異なる東京都日野市。

いったいどのような縁で伊根町に来られたのでしょうか。

 

恵理子さんのご両親が家庭菜園をされていたことから、物心ついた頃から食に興味をもっており、漠然と将来は食に関する職業に就こうと決めていました。

進学するときもその思いは変わらず、三重県伊賀市にある愛農学園農業高等学校(以降、愛農学園)に入学。在学は1年間でしたが、このときに築いた交友関係が後になって恵理子さんの人生に深く関わってきます。そして、高校2年からは東京の農業学校で学び、東京農業大学への進学。

同大学では、技術によって農薬を減らす農法などの研究に励みました。

そして、卒業後は…と考えたとき、教師になるか企業に就職か選択は二つあったそうです。

「子どもたちに食の大切さを教える食育にも興味があったのですが、それは人間的にもう少し成熟してからの方がいいかなと。いきなり農家になるのではなく、まずは消費者の動向を知りたいと思い、食の流通会社に入社しました」

勤務地は、埼玉県に支社があるので関東を離れることはないと思っていたのが、見事にはずれ、配属されたのは本社がある大阪へ。

「まさか、関西に来るとは…私の人生計画には全くありませんでした(笑)」


こうして関東から関西に移ってきた恵理子さんは大阪で2年間勤務した後、愛農学園でお世話になった知人からの誘いで伊賀市にあるファームに転職しました。さらに、母校の講師の依頼も引き受けることになり、勤務しながら週2コマ、米作りの授業を受けもつことに。

ファームでは4年間野菜づくりに携わりましたが、自然を相手に思いどおりにならなかったこともしばしば。ですが、このときの経験が今の恵理子さんの土台になっているといいます。

「自然に比べて人間の存在って、なんてちっぽけなんだろう。人は自然によって生かされているんだな、とつくづく思い知らされました」

改めて農業にずっと携わりたいと思い「農家の嫁になりたい」と周囲に公言していたそうです。

そこで、愛農学園で同級生だった友人がキューピット役に。将来の夫となる牧人さんと恵理子さんを引き合わせたのです。その友人とは、牧人さんの弟さんの妻でした。当然のことながら、今は恵理子さんの義理の妹になっています。

そして、不思議な縁がもう一つ。実は恵理子さんが伊根町に来たのは初めてではなく、愛農学園の農業実習で訪れていたのです。

数ある候補地の中からこの場所を選んでいたとは…。運命の赤い糸って本当にあるのかもしれませんね。

10年ぶりに来訪した伊根町の印象はすごく良かったとか。

伊賀市で魅力的に映っていた地域のつながり、支えあう精神がここ伊根町にも息づいていると感じたからだそうです。

ひと手間かけた自家配合の飼料を使った、こだわりの養鶏


恵理子さんは結婚してすぐに子どもに恵まれ、現在は5歳、3歳、1歳の母親となりました。家事と子育ての傍ら、毎日1600個の玉子を集め、パック詰め、2週間に1回京丹後へ配達をしています。

「最初は野菜作りをしたいと考えてたんですが、今はそこに執着せず、野菜も玉子も食を生み出すことに変わりはない、と気付くことができました」

義母の千恵子さんは、玉子を産み終わったあとの鶏の食肉加工を担当しています。

三野養鶏では、何ひとつ無駄なモノはないという考えのもと、命の循環を行っています。鶏の食肉加工もその一環で、ほかに鶏のフンは飼料米の栽培用肥料にして田んぼに還元しています。

 

義父の悟さんと夫の牧人さんは、養鶏業全般を担っています。ケージの掃除やフン出し、なかでも最も力を入れているのはエサのオリジナル配合です。

ほとんどの養鶏場では、配合された既成の飼料を与えていますが、牧人さんは非遺伝子組み換えのトウモロコシや米ぬか、乾燥牧草、自家栽培の米、炭酸カルシウム、牡蠣殻、酸化防止剤不使用の魚粉と安心できるものだけを配合し、ひと手間かけています。

というのも、鶏の食べるものが玉子の味を決めるといっても過言ではないからです。また、鶏の健康に加えて、お客さんのことも考え、自家配合にしているそうです。

こだわりのエサで育てた鶏の玉子は、地元伊根町や宮津市、京丹後市、与謝野町など近隣地域に届けられています。



これからも伊根町で養鶏を続けていきたい

「食べ物を生産できることは尊いこと、と日々感じながら励んでいますが、自然が及ぼす影響に対して、人間は太刀打ちできないなぁ…と実感しています」

恵理子さんが言う“影響”とは、近年高騰が続くトウモロコシのこと。5年前よりも1.5倍になっているそうです。その背景には原産国アメリカでの干ばつによる不作と中国での需要の増加といわれています。

エサの高騰は経営的にとても困難な状況に追い込まれ、不本意ながらつい最近、値上げに踏み切りました。

今後も、おそらくトウモロコシの確保は難しくなっていくと考えられるので、外国で生産されるトウモロコシに頼るのではなく、地元で収穫された米を増やしていきたいと。

小さな養鶏場にとって、取り巻く環境はやさしくはないようですが、

「これからもずっと、養鶏を継続していくこと』と『この場所を離れず地域に根ざして生きていくこと』を両立していけたらと思っています」と心の内を言葉に。


50年ほど前は、この辺りの地域に20軒ほどあった養鶏場が今はわずか宮津の1軒とこちらの2軒のみ。存続していく厳しさは数字が物語っています。

だからこそ、伊根町で安全なエサにこだわり、高級玉子ではなく日常的に食せる価格で提供する三野養鶏は貴重な存在といえます。


子育てが一段落したら恵理子さんは、やっていきたいことがいろいろあるとか。

まずは義母の千恵子さんが担当している食肉加工を教えてもらうこと。そして、子どもたちに「命のリアルな現場」を伝えていくことです。

「ゲームの世界では死んでもすぐに生き返りますよね。でも現実では、たった今、生きていた鶏が人の手でさばかれ鶏肉という商品になるわけです。現場を実際に見せながら食育教室ができたら嬉しいな。養鶏場も地元の人たちが、気軽に訪れることができるオープンな場にできたら…と思います」

 

今は子育て真っ最中ですが、お子さんの成長とともに、恵理子さんの計画も少しずつ達成されていくことでしょう。

「農業って素敵な仕事、かっこいい」と子どもたちが思ってくれることが、恵理子さんの大きな目標だそうです。


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