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【食への想い】丹後のうどん

【京丹後市・与謝野町】
【食への想い】丹後のうどん

地域で愛されるうどんの物語

こんにちは!『食らし旅』編集部です。

京都の北部に位置する丹後半島は、海と山に囲まれた地形から独特の景観や文化を形成してきました。もちろん、食もそのひとつ!ガイドブックでは見つけることのできないローカルな情報を、食らし旅編集部からお届けしていきます。

第一弾「丹後のうどん」

丹後の人たちは、うどんが大好き。地域のイベント、季節の祭、地区の集まり…いつでも、どこでも、うどん!うどん!うど〜ん! 白いうどんにネギとカマボコをトッピング、黄金色のお出汁をヤカンから注いで食べる姿を目にした時の驚きと言ったら…丹後への移住者がカルチャーショックを受けることのひとつです。

現在でも各地域に製麺所があり、みんな「○○のうどんが一番!」と地元の味を誇らしげに語ります。さあ、私たちも製麺所ツアーに出かけましょう。


「うどん皿」と呼ばれる麺鉢よりも浅く小さなお皿

麺のオーダーメイド!? 菊水食品

「麺はどうしましょう?」電話の向こうから聞こえてくる質問にドキドキ。初めての注文であることを伝えると、麺の太さが選べることを教えてくれました。パック入りか袋包装か、お出汁は要る?ネギとカマボコは付ける?「とりあえず麺は普通でトッピングは全部お願いします!」うどんの注文一つに、想像以上の選択肢があって驚きです。


菊水食品3代目 市田正人さん

受け取りに行くと、菊水食品3代目となる市田正人さんが出迎えてくれました。「麺の種類は昔から選べたのでしょうか?」さっそく、気になっていたことを聞いてみます。「そうだねえ。昔から細いの、太いのって注文を聞いてきたよ。冬は『うどんすき』をするから太いうどんじゃないと」。鍋で煮込んでも煮崩れしない製麺方法を先代が考案したのは50年ほど前のこと。その頃は家庭で鍋を囲む習慣がなかったそうです。そこで、具材・麺の注文で鍋とコンロの貸出サービスを開始。瞬く間に人気商品となり、大ヒットしたそう。


菊水食品が営む居酒屋「清竜」

正人さんの代になると、寿司の出前を開始しました。それから仕出しも始め、居酒屋も開業。現在では、製麺は地域のスーパーへも卸されているほか、保育園の給食にも提供されています。そのため中華そばにも卵を使わず、子どもたちに多い卵アレルギーにも対応しているのだと教えてくれました。「うちのこだわりは無添加だね。余分なものを入れない、より自然に近いかたちでやっていきたい」。帰り際には、「袋入りうどんを食べるときには、鍋でほぐしてから冷水で締めるとぐっと美味しくなるよ」とアドバイスもいただきました。

菊水食品のうどん
これぞ丹後うどんのスタンダード。黄金色の鰹出汁、柔らかく喉ごしの良い麺、薄切りかまぼことネギが乗る。七味も忘れずに。

地域のうどんを復刻! 石川姫うどん

次に訪れたのは、与謝野町石川地区公民館。なんと公民館でうどんが購入できてしまうのです。ここで販売されている「石川姫うどん」は、地域住民でつくる石川うどん再現実行委員が2年にわたる試行錯誤の末に生み出されました。2012年のことです。「石川は田んぼが多かったから、たくさんうどんを食べていたんだ」。開発チームのリーダー役だった伊達義弘さんが懐かしそうに教えてくれました。さぁ、なぜ田んぼが多いとうどんを食べるのでしょうか?


伊達義弘さん

加悦谷平野に広がる田んぼでは、昔は二毛作が行われていたそうです。10月にお米を刈り取った後に麦を蒔く。冬の雪を越して、6月に麦を収穫したら田植えをする。単価の高いお米は現金収入として、自分たちはうどんでお腹を膨らませていたと教えてもらいました。昭和40年頃まで生産されていた地産小麦は海外からの安価な麦の輸入に押されて行われなくなり、地域の製麺所も流通の変化から姿を消してしまいます。町中にあった個人商店の八百屋や食品雑貨への卸が、スーパーや大手食品企業の登場により激減してしまったのです。

「あの頃食べていたうどんが食べたい」

復刻にあたり一番難しかったのは「粉選び」でした。戦前から日本で栽培されてきた麦は「軟質」であり、アメリカなどから輸入される麦は「硬質」。そもそもの性質が異なる上に「記憶の中の味」というハードルが立ちはだかります。毎日のように試作と試食を繰り返すこと1年、なんとか「これで、えかろう」という味に行き着きます。丹後弁で良いだろうを意味する「えかろう」には、途方もない量の粉と努力が滲んでいました。

「あの頃食べていたうどんが食べたい」

復刻にあたり一番難しかったのは「粉選び」でした。戦前から日本で栽培されてきた麦は「軟質」であり、アメリカなどから輸入される麦は「硬質」。そもそもの性質が異なる上に「記憶の中の味」というハードルが立ちはだかります。毎日のように試作と試食を繰り返すこと1年、なんとか「これで、えかろう」という味に行き着きます。丹後弁で良いだろうを意味する「えかろう」には、途方もない量の粉と努力が滲んでいました。

うどん界のサードウェーブ hedi屋(へじや)

暖簾をくぐると聞こえてきたのは「ヴーン」というコンプレッサーの音。「ああ、汚れ落としをやってるから」。ここは「丹後ちりめん」の里、日本で最も大きな絹織物の産地なのです。丹後でうどんが愛される理由もここにあります。忙しい機織りの合間にさっと食べられるうどんは、職人たちのソウルフードだったのです。


hedi屋 廣野秀和さん

hedi屋(へじや)店主の廣野秀和さんは、織物の取次業を営んでいます。2010年、生産量が減少するなかで副業として製麺所を始めました。きっかけは家庭用に購入したパスタマシン。生パスタを作ってみて「これならうどんも出来るんじゃないか」と思いついたというから驚きです。根っからのうどん愛がなければ、ふつう開業までは行き着きません。背景には幼少の頃から慣れ親しんだ「うどん文化」がありました。その昔、与謝野町と隣町の宮津市には10軒以上の製麺所があったそうです。居酒屋などの飲食店でも自家製麺をこしらえていたらしく、当たり前のこととして手作りの麺文化がありました。「次世代の子どもたちにもうどん文化を繋いであげたい」。うどんの中には、子どもたちへの愛が練りこまれているのです。


うどん、パスタ、時期によりそばも販売している

生麺を提供し家庭で湯がくスタイルは、敬愛する製麺所との差別化のため。丹後では茹でたうどんを買うのが標準だからです。後発の自分が同じことをしても意味がないとコシが強めの特徴的な麺を打ちます。お出汁は「つけ」「温かいぶっかけ」「冷たいぶっかけ」の3種類。それぞれに地元産のこだわりの調味料をふんだんに使っています。丹後のうどん文化に育まれながら「うちにしか出来ない味を目指しています」と話す廣野さん。食文化はこうして発展してきたのでしょう。

hedi屋のうどん
粉の自然な色合いが美しく、コシが強い。出汁には丹後産じゃこがたっぷり使われている。3種類の出汁、どれにも合う麺の具合はさすが。

丹後うどん半島の若きホープ 小塚製麺

「こんにちは、ご予約をいただいていた方ですよね」。最後に訪れた小塚製麺で、思いがけず若いご夫婦が現れてとっても驚いてしまいました。いつも地域の食品店やスーパーで「小塚製麺」と印刷されたせいろや袋を見かけて購入していましたが、まさかこんなに若い後継者が頑張っていたなんて。丹後では、同世代の若い人に合うだけでテンションが上がってしまいます。


小塚製麺 田中佳士さん、未紗さん

田中佳士さん、未紗さんご夫婦は4年前に未紗さんのご実家である京丹後市大宮町常吉地区へとUIターンをされました。その地区名から「つねよしうどん」と呼ばれ、広く愛される製麺所です。大阪でサラリーマン生活を送っていた佳士さんにとっては、製麺業も、地方での生活も初めてだらけ。地域の人が当たり前のように祭りや法要でうどんを食べる姿に衝撃を覚えました。未紗さんにとっては当たり前の風景で、なんとも思ってこなかったと笑います。三代目を目指して修行中というお二人にインタビューをお願いしました。


イベントの出店にはうどんが欠かせない

つねよしうどんのこだわりは「一番美味しい状態で食べてもらう」こと。製麺の担当者は夜中の12時に懐中電灯と熊よけの鈴を鳴らしながら出勤します。従業員はみんな近隣に住んでいるため、徒歩でやって来るのだそう。朝方には打ち立て・湯がきたての麺が出来上がり、地域の食料品店やスーパーへ配達されます。お昼時には、丹後人たちの胃袋をすっかり満たすサイクルが回っていました。

「高齢化が進んで人口も減ってしまう地域だけど、子どもが大きくなるまでは美味しいうどんを作り続けたいと思っています」。次世代のうどんを担う二人を、たくさん食べて応援しようと心に誓うのでした。


うどん皿に盛り付けたつねよしうどん

小塚製麺のうどん
細めの麺に、自家製無添加の優しいお出汁。薄揚げはちょっと豪華なトッピング。標準はネギとカマボコ。加水率を高めた麺は時間が経っても伸びにくい工夫がしてあります。

お腹いっぱいに満たされて

丹後製麺所ツアー、いかがだったでしょうか。ご近所の製麺所にうどんを買いに行くという体験を通して、土地や歴史や人々への愛をたくさん感じました。昔からの当たり前の風景を食べ繋ぐ。これも日本の原風景のひとつなのだと、丹後のうどんに教えてもらいました。丹後を訪れる際には、ぜひ白い麺がつなぐ文化に触れてみてください。

当記事作成にあたり与謝野町が2017年に発行した壁新聞「うちのまち」うどん特集号を参照にしています。末尾にリンクを貼り付けていますので、どうぞご一読ください。さらなる丹後うどん史が広がっています。

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