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京丹後で独自の自然農法による野菜づくりを行う「自然耕房あおき」
【京丹後市】亡き夫の志を受け継いだ妻の農業への挑戦
暖冬でこの時期に丹後に雪がないのは大変珍しいこと。生活は楽でいいのですが、暖かすぎて早くも花芽がふくらんでくる植物も。
そんな春の様相も見える中、今日は京丹後市大宮町奥大野の「自然耕房あおき」さんを訪ね、畑を案内していただきながらお話を伺いました。
(写真上:自然耕房あおき代表 青木美恵さん)
約20年前に移住してこられた青木伸一さん、美恵さんご夫妻がこの地で自然農法による野菜づくりに取り組んで16年。自然耕房あおきを立ち上げ、自然農法の先駆者として名を馳せ、多くの人が視察に訪れるようにもなっていた4年前、伸一さんが急逝されました。
その1年後に株式会社として再出発されて3年、現在の自然耕房あおきが何を目指しておられるのか、聞いてみたいと思います。
(写真上:故青木伸一さん)
建設会社勤務から農業へと転身し、京丹後市大宮町へ移住
大阪の建設会社に勤めておられた青木伸一さんが、いわゆる脱サラして数ヶ月の農業研修を終え、自分の理想を実現するためにここ大宮町に移住されたのは1999年でした。
農場として借りられたのは国営農場の一部でしたが、ここは山を切り開いた土地。耕作に不向きな真砂土が広がっていました。そこで青木さんがまず取り組まれたのは土作りでした。
農業に関してまだまだ素人に近かった彼は、寝る暇も惜しんで勉強に勤しみました。当時はまだまだ自然農に取り組む人も少なく、身近に教えを請える人もなかったため、調べて専門書を買い込んでは、独学で自分が目指す農業を実現するために必要な知識を得られたのだそうです。
そして2001年、『自然耕房あおき』を立ち上げられました。
時間をかけてたどり着いた独自の自然農法
勉強する中で自然農法の難しさを痛感していた頃、川原の刈り草を敷き詰めたところへ放っておいた青梗菜(ちんげんさい)の苗が、白菜のような大きさに育ち、葉っぱは柔らかく、甘く、何とも言えない美味しさだったそうです。伸一さんは驚きと同時にピンと来ました。自然農法につながる大きなヒントを得たのです。
また、土地開発のために大量に出た広葉樹のウッドチップを知り合いのつてで譲り受け、畑に運び入れ積み上げました。彼なりに考えた上で、土作りのためにしたことでしたが、それは当時の有機栽培の常識からは大きく外れていました。時々指導に来られていたある大学の先生からは、「こんなことしていたら30年経っても野菜なんかできない」と叱られたこともあったそうです。
ところが、しばらく経つとそのウッドチップの山には放線菌(有機物の分解力に優れた細菌)が張りめぐり、チップは見事に分解され、栄養豊かな土壌へと変化していきました。それは土の中の小さな生き物や微生物たちのなせる技でした。
自分が見て、感じて、試してきたやり方が間違っていないことに確信を持ち、彼は自然農法の道を突き進むことになります。もともと農業に興味を持ったきっかけが環境問題だった伸一さんにとっては、循環を活かした農法は理想的なものでした。
今では「炭素循環農法」として実践される方も増えましたが、常識を覆すような農法であることは間違いありません。
その後も順風満帆とは全く言えない状況でしたが、徐々に無農薬、無施肥でおいしい野菜が育つようになり、経営も安定し、自然農法の先駆者として、全国から年間三百人もの生産者や消費者が彼の畑の視察に訪れるようにもなっていました。
最愛の夫・伸一さんとの突然の別れ
2015年11月、その日は突然やって来ました。
家族も軽い風邪程度に考えていた伸一さんの咳や身体の不調は急性の肺炎。それが彼の命を奪いました。
誰もが目の前に起こっていることを信じられない中での葬儀でした。
夫が人生をかけた畑を手放してはいけない…美恵さんの思い
美恵さんはそれまで農業を楽しめたことはなかったと言います。でも夫が人生をかけて取り組むことを支え、食べるためにやらなければならないことだけをやる、そんな毎日でした。
夫が亡くなった時、周りの人も彼女自身も農業を辞める事しか考えていなかったと言います。でも野菜は成長を止めてはくれません。「どんな野菜でも買い取る」と言ってくれるお得意先もあり、とりあえず出荷を続けました。
夫のやることをずっと見てきたとは言え、農業には全く素人の彼女を農法の面で支えてくれる支援者も現れ、また夫に任せっきりだった経営面でも相談できる人もできました。そんな中で美恵さんは、そういう周りの人たちが共通して持っていた「この畑を手放してはもったいない!」という思いの本質に気づきました。
「夫が作り上げた畑には多くの微生物が生きている。この生命の循環を断ち切ってはいけない。次世代に継いでいかなければならない!」
そこで初めて、「やれるところまでやってみよう。後悔はしたくない。」と腹をくくることができました。
女性メンバーを中心とした株式会社を設立
毎日が手探りの状態で必死に過ごしていく中、少しずつ、でも大きな流れが押し寄せてきて形になりました。伸一さんの死から一年後、彼の思い、そして美恵さんの思いに賛同する人たちが集まり、自然耕房あおきは女性を中心としたメンバーで株式会社として再スタートを切ることになりました。
それから3年、これまで通り、自然農法で少量多品種の栽培を続けながら、オーガニック野菜に女性の視点やアイディアをプラスした商品を打ち出し、その販路を大きく広げています。
作業所の前の無人販売から売り始めた安心安全な野菜は、地元の人たちだけではなく、首都圏の消費者にもその価値を認めてもらえるようになってきたのです。
携わってくれるすべての人に感謝しながら、密につながっていきたい
美恵さんにこれからのことを聞くと、「これからはより有機的な繋がりを大切にしていきたい」という答えが返って来ました。
最近は美恵さん自ら営業に出られることが増えています。商談会などで大手の取引先との商談に入る時、必ず一番に先方に伝えるのは、有機JAS認証を取得していないということ。それを聞いて商談が終わってしまうこともしばしばだそう。
でも、そんな中にも、「そんなことより畑で野菜を育てることに専念して欲しい」とか「自分たちの眼で見ていいと思うものをお客さまにも伝えたいから、そんなものは必要ない」と言われる取引先もあるそうです。
それは常々、伸一さんが言っていた『自分の目で見たことだけが真実、それを信じて進む』ということにも繋がります。
『有機的につながる』とは、あおきの理念に理解あるお客さま、自然農法への理解を示し支えてくれた地元の人たち、お客さまとの間を繋いでくれる流通に関わる人たち、そんなすべての人に感謝しながら、密接につながること。
これこそが自然耕房あおきが理念として掲げる『Organic』な農業の本当の意味かもしれません。
畑を身近に感じる体験プログラムも開催
有機的なつながりを広げていくために、もう1つ取り組まれているのが、体験プログラムです。
その1『畑のレストラン』
伸一さんが始められたユニークなイベント、それが『畑のレストラン』。自然耕房あおきの野菜のファンである消費者に畑に来ていただき、畑の中にしつらえたテーブルで、採れたての野菜を味わってもらうというものです。2002年に始めて2019年まで、毎夏一度も欠かすことなく続けられています。
畑という特別な空間で野菜料理をいただくことで、生産者と消費者の距離がぐっと近くなります。最近はこういうイベントも増えてきたようですが、18年前には珍しい取り組みだったと思います。
こういうところにも、伸一さんのアイディアマンぶりが伺えます。
その2『畑の真ん中で野菜の美味しさを知る、贅沢ランチ』体験
畑を見学して土に触れ、収穫し、料理をして試食する内容で、あおきの理念と野菜の美味しさを直に感じていただける体験です。英語が堪能なスタッフもおられるので、海外からのお客様にも体験していただけるようになっています。
興味のある方は是非、お問い合わせください。自然が相手ですので、時期によっては受け入れが難しいこともあります。ご相談の上お越しいただきたいとのことでした。
暖かい季節になったら、是非一度訪れてみてください。
『畑の真ん中で野菜の美味しさを知る、贅沢ランチ』体験プラン
https://www.uminokyoto.jp/experience/detail.php?exid=200